書と絵画に親しんだ幼少期、女優としてスクリーンに立ち、アナウンサーとして言葉を届けた日々——
Tsuyumi Miwa(三輪つゆ美)さんの人生には、つねに芸術が寄り添ってきました。
日本、イタリア、オーストラリア、そして現在、拠点とするシンガポール。多様な文化に触れてきた彼女が今、アーティストとして再び絵筆をとり、色彩と光の対話を通して描くのは、個人の記憶と”シンガポール”という多文化・他民族が共生する土地の記憶が交差する情景。
「Voyage」での本連載「Story of Art」では、まず、三輪つゆ美さんが近年発表した「Singapore Cultural Series」において、シンガポールの多文化社会を支える無数の”日常のヒーロー”たちにフォーカス!
彼女が歩んできた芸術の軌跡と、作品に込められた想いを、ひとつずつ紐解いていきましょう。

【Story of Art.7】タイプーサムという“歩く儀式”。痛みを越えて捧げられる祈り

“Faith is not measured by words but by devotion, sacrifice, and the unwavering belief that the divine walks alongside us.”
ーー ”信仰は言葉で量れるものではなく、捧げる心と犠牲、そして“神は共にある”という揺るがぬ思いによって示されるものです”
南インド・タミルの人々に受け継がれてきたヒンドゥー教の祭礼「タイプーサム」。
シンガポール、インド、スリランカ、マレーシアなど、世界各地のタミル・コミュニティで大切に守られてきたこの祭りは、タミル暦”タイ月”の満月と、プーサム星が重なる日に行われます。
次回は2026年2月1日。新しい一年が始まる頃、祈りは街へと解き放たれます。
祭りは、戦いの神・ムルガン(スブラマニア)が悪を退けた物語に由来するとされ、善が悪を打ち破る象徴として、人々は痛みを越える行として自らを捧げます。
花や孔雀の羽で飾られた巨大な「カヴァディ」を背負う者。
皮膚や舌、頬を金属棒で貫き、無言のまま歩み続ける者。
そこにあるのは苦行ではなく、罪を清め、神へ感謝を捧げるための行いです。参加者の多くは数日前から断食や瞑想に入り、菜食を貫いた身体でこの日を迎えます。
4キロの巡礼が描く、祈りの風景
シンガポールでは、リトル・インディアにある「スリ・スリニバサ・ペルマル寺院」を出発点とし、タンクロードの「スリ・テンタイユタパニ寺院」まで、約4キロの巡礼が続きます。
街路には乳香の香りが満ち、太鼓のリズムがゆっくりと心臓の鼓動と重なります。歩みはゆっくりと、しかし確かな意志を持って進みます。
シンガポールの「タイプーサム」は、リトル・インディアの「スリ・スリニバサ・ペルマル寺院」から始まり、タンクロードの「スリ・テンタイユタパニ寺院」まで約4キロの巡礼となります。
道には乳香の香りが漂い、太鼓の音がゆるやかに響きます。歩く人々の周囲には常に静かな熱があり、街全体が一つの祈りの場へと変わっていきます。
ひとりひとりの内側にある物語
10年以上、カヴァディを担ぎ続けるという男性、ラジは、こう語ります。
「毎年、同じ道を歩くけれど、同じ気持ちの日は一度もない」
その一歩一歩は、彼にとって感謝と内省の積み重ねであり、痛みを越えた場所に静かな祈りの証があります。
彼のように、ここを歩く誰もが、外からは見えない個人的な物語を背負っています。この道は誰かに示すためのものではなく、深く自分自身へ向けた問いかけと言えるでしょう。
街が受け止める、人の強さと静けさ
「タイプーサム」は祭りでありながら、派手さを目的とするものではありません。それでも当日は色彩と音に満ち、祈る人を支える家族や見守る人々が共に場をつくり上げます。
祈りを捧げる人、支える家族、道沿いで静かに見守る人々——その場にいるすべてが、ひとつの気配をつくり上げます。
痛みや困難を超えていく人間の強さに、街が包まれます。
祈りとは何か。
それは言葉では測れないもの。歩みを進める身体の中にだけ、確かに宿るものなのでしょう。
三輪つゆ美さんが「Singapore Cultural Series」で描き出すのは、そうした“生きた文化の記憶”です。
次回は、また別の”日常のヒーロー”が登場!
その一筆一筆の向こうに広がるシンガポールの多様な文化の物語を、どうぞお楽しみに。
こちらの連載は、”毎月の満月の日”に更新されます。
次回の連載は、2026年1月3日(土)を予定しています。

